"テレビ批評(光る君へ)"の記事一覧

紫式部の女房名と出仕時期

6月30日(日) 「光る君へ」(第26回)「いけにえの姫」 ドラマの設定はともかく、紫式部の前歴はほとんど不明で、発出仕の時期も諸説ある。 そこで、注目すべきはた「式部」という女房名。 当時の慣例として女房名は、父や夫の官職からつける。 式部の場合、父・藤原為時の官職(式部大丞)に由来すると思われる。 とすれ…

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彰子、登場

6月30日(日) 「光る君へ」(第26回)「いけにえの姫」 裳着の時(長保元年=999)彰子はまだ数えで11歳。 道長・倫子夫妻でなくとも、、ますます妖艶さを増す中宮・定子と「勝負にならない」のは明らか。 それにしても、あの幼い無口な姫君が、腰結い役を務めてくれた女院様(東三条院)をしのぐ大女院(上東門院)になろうと…

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「傾国の中宮」

6月30日(日) 「光る君へ」(第26回)「いけにえの姫」 出家してもなお一条天皇の愛を一身に集める中宮・定子を、藤原実資が「傾国の中宮」と批判。 そもそも一夫多妻制の社会で、権力者が特定の妻だけを過剰に寵愛するのは、政治の乱れにつながることは、唐・玄宗皇帝と楊貴妃の故事など、当時の常識。 まして、一度、出家した女性…

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従兄弟なんだけど

6月2日(日) 宋の商人から調停に献上された鸚鵡を見る藤原公任(左)と藤原実資。 顔の色が違いすぎると、「X」などで評判。 ちなみに、2人は血縁的に従兄弟。

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藤原道長、また押し倒される

6月2日(日) 「光る君へ」 明子さま(高松殿:左大臣源高明の娘:醍醐源氏)に押し倒される藤原道長。 道長は、以前、倫子さま(土御門殿:左大臣源雅信の娘・宇多源氏)にも押し倒されている。 「光る君へ」の姫君たちは、ほんとうに強い。 その背景には、財産(邸宅など)が女系相続であるということが大きい。 道長は、政…

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「苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼」

5月19日(日) 「光る君へ」 藤原為時(紫式部の父)が淡路守(下国)から越前守(大国)に任命替えになるきっかけとなった申文(申請書)「苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼」(苦学の寒夜は紅涙襟を霑し、除目の後朝は、蒼天眼に在り)が「まひろ」の代作だったという脚本に驚く。 これは『古事談』にある説話で、為時の文才とそ…

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古麻呂の再登場

5月12日(日) 「光る君へ」第19回 倫子さまが「古麻呂」と呼んでいたから、間違いなく古麻呂だ。 初登場から11年経っている。 猫病院などあるはずもない当時の猫としては長生き。

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何が書いある?

5月12日(日) 「光る君へ」第19回。 倫子さまが覗き見していた道長の日記。 長徳元年(995)8月18日条 牽き分けし御馬を直廬に持ち来る。 使いの近衛に疋絹を給ひ了んぬ。 東国の御牧から貢上されてきた御馬を牽き分けて、私の直廬(宮中での宿舎)に持ってきた。使の近衛に疋絹を与えた。 読まれてまずいこ…

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『御堂関白記』の思い出

5月12日(日) 「光る君へ」第19回 30歳という異例の若さで、内覧・右大臣として執政の座に着いた藤原道長。 蔵人頭に抜擢された藤原行成に、日記を書くように勧められる。 道長は政権首座になった長徳元年(995)から日記を書き始める。 初めのうちは記述も飛び飛びで、一日の記述量も少ない(1~2行)。 それでも頑張…

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