5月25日(木)
今日5月25日は、アメリカ軍の空襲で、4000人以上が亡くなった「東京山の手大空襲」の日。
NHKのニュースで、15歳で体験したおじいさんが「表参道を火が吹き渡る」と言っていた。
同じように表参道で被災した亡父は「火が走る」と言っていた。
同じ現象だと思う。
大火災にあぶられて木材の温度が上が…
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3月10日(水)
亡父を含む東京大空襲を経験した人のB29の印象は「ともかくデカい」。
「空の要塞」といわれたB29は、全長30mで当時、世界最大の爆撃機。
日本海軍の一式陸上攻撃機が20mだから1.5倍ある。
ただし、「デカい」と感じたのには、もう1つ理由がある。
それまで、高度8500mから9500mmの精密爆…
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3月1日(月)
9月までに、広島の呉と、長野の飯田に行くつもり。
呉は亡父が子供~少年時代を過ごした街(旧制:呉一中の卒業)。
飯田は、東京医学専門学校の2年生だったとき、集団疎開して「玉音放送」を聞いた街(滞在は半年弱)。
どちらも、父の足跡を追う調査旅行。
だから早く越県移動ができるようになってほしい。
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2月28日(日)
戦後混乱期、焼け跡・闇市時代の新宿の医学生であった亡父は、たぶん1946年頃、密造焼酎の運び屋のアルバイトをやっていた。
その製造元である「大久保の朝鮮人部落」がどこなのか?
証言は「新大久保駅よりもっと先、高田馬場との間の線路際」。
戦後東京の朝鮮人集住地区についての論文などを参考に、旧・西大久保…
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2月27日(土)
この2週間ほど、資料として読んでいた、小説家・山田風太郎(1922~2001年)の戦中・戦後「日記」シリーズをやっと読み終える。
『戦中派不戦日記』(1945年)
『戦中派焼け跡日記』(1946年)
『戦中派闇市日記』(1947~48年)
『戦中派動乱日記』(1949~50年)
『戦中派復興日記』(19…
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