3月2日(日)
「講武所」芸者の「桃太郎」って、現在の感覚からしたら、まったく「女らしく」ない。
武芸を習っているのか?と思ってしまう。
↑ 講武所の桃太郎(凌雲閣「東京百美人」)
「講武所」は文字通り江戸幕府の武芸教習所で、現在の千代田区外神田一丁目にあった。
それを花街の通称にするのが明治時代の感性。
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3月2日(日)
明治時代の美人コンテスト、浅草・凌雲閣「東京百美人」(1891年)の結果を改めてみると、新橋の圧勝。
1~4位を新橋芸者が占め、柳橋芸者はかろうじて5位に食い込んだのみ。
↑ 1位になった新橋・玉菊
そもそもエントリーした芸者は、新橋が圧倒的に多い。
花街別にカウントすると、以下のようになる。
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3月1日(土)
江戸・深川の「巽(たつみ)芸者」は、男性の衣類である羽織を着て、桃太郎とか稲吉のような男名前(権兵衛名)を名乗り、気性も意地と張りが売りだった。
柔和・従順のような近代的なイメージでの「女らしさ」ではなく、むしろ男気が人気だった。
また、新吉原遊廓の「吉原芸者」は、遊女との差異化が必要で、ファッション的…
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1月19日(日)
今日放送の大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」に出てきた「一目千本」の絵師・北尾重政の「東西南北美人」(1777年頃)。
江戸の東西南北の「美人」を2人ずつ描いている。
「東方乃美人」(深川門前仲町のおなか と おしま)
「西方乃美人」(日本橋堺町)橘屋の三 喜蔵と丁字屋の松之丞)
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1月7日(火)
女性を「素人(≒処女)」と「玄人(≒非処女)」に分け、前者のみを結婚対象とし、後者は性の対象ではあっても結婚の対象にはならないというのは、儒教やキリスト教の倫理観に強く影響された人たちの考え方。
そうした倫理観の影響が薄い人たちにとっては、「玄人」上がりの女性は、対人的な職業訓練を受けているので、接客能力が高…
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