20世紀末の新宿のストリートガール
2月21日(土)
1998年2月21日、新宿歌舞伎町のラブホテル「和光」で、海上自衛官がニューハーフに刺され死亡する事件があった。
その頃、仲が良かった女性記者から取材依頼があり、「現地を見たい」と言う。
「誰か、ボディガードが付きますか?」
と尋ねると、「一人です」という返事。
あのエリアに女性一人で行かせるわけにもいかず、同行した。
事件現場(歌舞伎町2丁目のけっこう奧)周辺を取材した後、記者さんの要望で、女性が立つエリア(職安通りを北に越えた大久保エリア)を通過して視察。
あの頃は、ほとんどが外国人女性(含むNH)で、路地ごとに民族が違っているのが印象的だった。
日本人のストリートガールは、奥の方ではなく、歌舞伎町の中心街の少し奧(歌舞伎町2丁目)に少人数が立っているだけだった。
街娼はやはりいろいろリスクが高い。
単純な話、冬は寒くて辛い。
好景気だった80年代後半以降、日本人娼婦は路上から屋内に収容されて、街角から姿を消していった。
1990年代後半になると、ポケベル、そしてPHS(携帯電話の前段階)が普及し、NTTの伝言ダイアルとの組み合わせで、深夜喫茶店で客待ちができるようになった。
来日後、正規の身分証明がなく、PHSや携帯電話が使えない外国人娼婦だけが路上に立つ傾向があった。
その後、今度は知人の男性にボディガードをしてもらい、大久保界隈や渋谷円山町を数回、フィールドワークした。
私がリサーチしたのは、その頃(2000年頃)までだが、その頃のことさえ、すっかり昔のことになってしまった。
記録のために書き残しておく。
1998年2月21日、新宿歌舞伎町のラブホテル「和光」で、海上自衛官がニューハーフに刺され死亡する事件があった。
その頃、仲が良かった女性記者から取材依頼があり、「現地を見たい」と言う。
「誰か、ボディガードが付きますか?」
と尋ねると、「一人です」という返事。
あのエリアに女性一人で行かせるわけにもいかず、同行した。
事件現場(歌舞伎町2丁目のけっこう奧)周辺を取材した後、記者さんの要望で、女性が立つエリア(職安通りを北に越えた大久保エリア)を通過して視察。
あの頃は、ほとんどが外国人女性(含むNH)で、路地ごとに民族が違っているのが印象的だった。
日本人のストリートガールは、奥の方ではなく、歌舞伎町の中心街の少し奧(歌舞伎町2丁目)に少人数が立っているだけだった。
街娼はやはりいろいろリスクが高い。
単純な話、冬は寒くて辛い。
好景気だった80年代後半以降、日本人娼婦は路上から屋内に収容されて、街角から姿を消していった。
1990年代後半になると、ポケベル、そしてPHS(携帯電話の前段階)が普及し、NTTの伝言ダイアルとの組み合わせで、深夜喫茶店で客待ちができるようになった。
来日後、正規の身分証明がなく、PHSや携帯電話が使えない外国人娼婦だけが路上に立つ傾向があった。
その後、今度は知人の男性にボディガードをしてもらい、大久保界隈や渋谷円山町を数回、フィールドワークした。
私がリサーチしたのは、その頃(2000年頃)までだが、その頃のことさえ、すっかり昔のことになってしまった。
記録のために書き残しておく。
この記事へのコメント