憲法24条についての安倍首相の認識
2月18日(水)
安倍首相の認識を整理すると、
① 憲法24条は、男女の婚姻を定めている。
② 男男、女女の婚姻(同性婚)を認めるには憲法改正が必要。
③ 家族の在り方の根本にかかわる問題なので、改正する気はない。
まあ、予想通り。
「時事通信」と比べると『朝日新聞』(というか、二階堂友紀記者)の前のめりぶりがよくわかる。
以前にも書いたことだが、私は憲法24条が、同性婚を「想定していない」ことを「禁止していない」とすり替え、「両性の合意」の「両性」を男男、女女と読み替え可能という見解は、国語の基本を無視した、かなりの解釈改憲だと思う。
9条の解釈改憲には反対しながら、24条の解釈改憲には賛成というダブルスタンダードには、私は組しない。
手前勝手なご都合主義の筋が通らない主張では、反対派を説得できないことくらいわかりそうなものなのに。
------------------------------------------
安倍首相、同性婚容認に否定的=憲法24条改正「慎重に」-参院代表質問
安倍晋三首相は18日午後、参院本会議での代表質問で、男女による婚姻を定めた憲法24条の改正について、「わが国の家庭の在り方の根幹に関わる問題であり、極めて慎重な検討を要する」と述べ、否定的な見解を示した。「日本を元気にする会」の松田公太代表が、同性カップルの婚姻を容認する観点から、同条改正を検討するよう提起したのに対し、答えた。
同性カップルに対しては、東京都渋谷区が「結婚に相当する関係」を認める証明書を発行する条例案提出を決めるなど、性的少数者の権利を保障する動きが出ている。一方、憲法24条は婚姻を「両性の合意のみに基づいて成立」すると規定しており、同条を改正しなければ同性婚の容認は困難との指摘がある。
「時事通信」2015/02/18-17:51
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201502%2F2015021800504
------------------------------------------
首相、同性婚「現憲法で想定されぬ」 専門家には異論も
安倍晋三首相は18日の参院本会議で、同性婚について「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と述べた。専門家の間には、現行憲法は同性婚を排除していないとの見方もある。
日本を元気にする会の松田公太氏が、同性婚を認めるには憲法24条の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」との規定が問題となるかただしたのに対し、首相が答えた。
首相は「同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、我が国の家庭のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」とも述べた。
一方、法学者の中には、同性婚に憲法改正は必要ないとの見解がある。
棚村政行・早稲田大教授(家族法)は「憲法24条の主眼は、婚姻をかつての『家制度』から解放することにある。当時、同性婚を念頭に置いた議論はされておらず、排除しているとまでは言えない。憲法14条の法の下の平等などに照らせば同性婚を認めないのは問題だ」と話す。
性的少数者の法律問題に取り組む「LGBT支援法律家ネットワーク」の有志も16日、東京都渋谷区が同性カップルに結婚相当の関係を認める方針を示したのを受け、「憲法24条は同性婚を排除していない」などと指摘する文書を報道各社に出した。(二階堂友紀)
『朝日新聞』2015年2月18日20時01分
安倍首相の認識を整理すると、
① 憲法24条は、男女の婚姻を定めている。
② 男男、女女の婚姻(同性婚)を認めるには憲法改正が必要。
③ 家族の在り方の根本にかかわる問題なので、改正する気はない。
まあ、予想通り。
「時事通信」と比べると『朝日新聞』(というか、二階堂友紀記者)の前のめりぶりがよくわかる。
以前にも書いたことだが、私は憲法24条が、同性婚を「想定していない」ことを「禁止していない」とすり替え、「両性の合意」の「両性」を男男、女女と読み替え可能という見解は、国語の基本を無視した、かなりの解釈改憲だと思う。
9条の解釈改憲には反対しながら、24条の解釈改憲には賛成というダブルスタンダードには、私は組しない。
手前勝手なご都合主義の筋が通らない主張では、反対派を説得できないことくらいわかりそうなものなのに。
------------------------------------------
安倍首相、同性婚容認に否定的=憲法24条改正「慎重に」-参院代表質問
安倍晋三首相は18日午後、参院本会議での代表質問で、男女による婚姻を定めた憲法24条の改正について、「わが国の家庭の在り方の根幹に関わる問題であり、極めて慎重な検討を要する」と述べ、否定的な見解を示した。「日本を元気にする会」の松田公太代表が、同性カップルの婚姻を容認する観点から、同条改正を検討するよう提起したのに対し、答えた。
同性カップルに対しては、東京都渋谷区が「結婚に相当する関係」を認める証明書を発行する条例案提出を決めるなど、性的少数者の権利を保障する動きが出ている。一方、憲法24条は婚姻を「両性の合意のみに基づいて成立」すると規定しており、同条を改正しなければ同性婚の容認は困難との指摘がある。
「時事通信」2015/02/18-17:51
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201502%2F2015021800504
------------------------------------------
首相、同性婚「現憲法で想定されぬ」 専門家には異論も
安倍晋三首相は18日の参院本会議で、同性婚について「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と述べた。専門家の間には、現行憲法は同性婚を排除していないとの見方もある。
日本を元気にする会の松田公太氏が、同性婚を認めるには憲法24条の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」との規定が問題となるかただしたのに対し、首相が答えた。
首相は「同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、我が国の家庭のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」とも述べた。
一方、法学者の中には、同性婚に憲法改正は必要ないとの見解がある。
棚村政行・早稲田大教授(家族法)は「憲法24条の主眼は、婚姻をかつての『家制度』から解放することにある。当時、同性婚を念頭に置いた議論はされておらず、排除しているとまでは言えない。憲法14条の法の下の平等などに照らせば同性婚を認めないのは問題だ」と話す。
性的少数者の法律問題に取り組む「LGBT支援法律家ネットワーク」の有志も16日、東京都渋谷区が同性カップルに結婚相当の関係を認める方針を示したのを受け、「憲法24条は同性婚を排除していない」などと指摘する文書を報道各社に出した。(二階堂友紀)
『朝日新聞』2015年2月18日20時01分
この記事へのコメント
突然のコメントにて失礼いたします。
自分の学生時代、大学の憲法学の講義で憲法24条と同性婚の関係性について学んだ時には、24条は親族や親が強制するものではなく、結婚する二人の合意に基づくと定めたものだと教わりました。その立法意志(親族による強制の排除は、文言成立の過程からも明らかだそうです。
両性ということばが用いられたのは、同性婚を差別し禁止する目的ではなく、当時の婚姻=男女間という社会通念によるもので、"同性婚"を想定したものではありません。
また、戦前の憲法が、国家の権力に対しては"憲法が禁じていないことはなんでもできる"と拡大的に捉えたのに対し、個人の権利は"限定列挙"として縮小的に捉え、憲法に明示されない権利は国家がいくらでも踏みにじれるという、未熟で、歪んだ、見た目だけの立憲主義であったこと
翻って戦後の憲法は、国家は憲法の定める権限の範囲に対して厳しい縛りを受けるべくあると縮小的に捉えるのに対し、個人の権利は例示列挙として、憲法制定時には想定されてなかったり、明文化されていない諸権利もまた、幸福追求権や平等権のもとに存在するものとして拡大的に捉えるのだと教わりました。
憲法24条が、同性婚を「想定していない」ことは、制定時の立法意志であり、当時の社会通念を反映したものです。
そして、憲法上、同性婚やそれに類するパートナシップ制度の創設が憲法に「反さない」のは、「両性の合意」を「同性間の合意」と読めるからではなく、戦後憲法の立憲主義は、個人の諸権利は憲法に例示されている範囲にとどまらないものであり、憲法に「同性婚の禁止」を目的とした条文がない以上、「書かれていないもの」「想定されていないもの」は当然、法の下の平等や幸福追求権のもとに認められるべきだからです。
三橋先生が、「想定されていない/書かれていない」ことを「禁止ではない」と捉えるのはおかしいと仰られるのは一般論としてはよくわかります。
ですが、その論に立つということは、憲法に「制定時に(当時の社会通念ゆえに)想定されなかった権利」は「明示的に書き込まれていない」以上ならば認められず、そのような個人の諸権利は国家が踏みにじって構わないのだ、という立場を意味します。
これは非常に危険なことで、明治憲法同様に、個人の権利を限定的なものとし、憲法に書かれていないものは認めないのだという現政権の目指す方向性を認めることになってしまいます。
国家の権力は拡大解釈し、個人の権利は限定的に捉えるという点で、現政権の立場はむしろ一貫しているのです。
「9条について解釈改憲を認めないのに、24条については解釈改憲を認めるのか」という考え方は、国家と憲法、個人と憲法の関係を混同するものではないでしょうか。
御説のような考え方があることは、よく知っております。
ただ、制定時に「想定していない」ことが生じた場合、解釈改憲ではなく、きちんと条文を改正すべきというのが私の憲法観です。
たとえば、「両性の合意」を「両人の合意」に、さらに後段の「夫婦が同等の権利を有する」も「両者が同等・・・」に改正すれば、問題はなくなります。
そうした真っ当な手段を尽くさずに、解釈改憲を重ねるのは、まさに姑息な手段であって、私はそうした考えには組しません。
三橋先生が、制定時に想定していないことが生じた場合は、個人の新しい権利か、国家の授権範囲の逸脱かを問わず、条文を改正すべきとのお考えはよくわかりました。
その点について質問ですが、三橋先生は、憲法制定時に想定されなかった個人の権利は、「想定されていない」以上は条文の改正が必要であり、これまで認められてきた「個人の新しい権利」は拡大解釈として否定し、新しい人権は全て憲法に書き込まれるべきであるとのお立場なのでしょうか?
それとも、同性婚のみは「それら新しい人権」から区別されるべき必然性があるとお考えなのかどうか、気になっています。
これまで、社会の変化に伴い生起する多様な法的利益は、憲法13条幸福追求権などの人権規定を根拠に「制定時に想定されなかった新しい権利」であっても包括的かつ柔軟に保障されうると考えられてきました。
三橋先生は、憲法13条幸福追求権を根拠に「環境権」や「プライバシーの権利」などの新しい人権が保障されると考えられてきたことは誤りであり、「新しい人権は改憲なしには認められない」と思われますか?
それとも憲法制定時に想定されていなかった新しい権利のうち「環境権」や「プライバシーの権利」等は幸福追求権を根拠に認められるが、「同性婚及びパートナーシップ制度」は認められないというお考えなのでしょうか?
繰り返しになりますが、憲法24条は同性婚を想定しておらず、従って否定も・排除も・禁止も・肯定も・許可もしていません。従って、24条は制定時に想定されなかった個人の諸権利=新しい人権から「同性婚及びパートナーシップ制」を排除する根拠とはなり得ません。
すべての「新しい人権」は改憲による条文改正なしには認められないというお考えなのか、それとも「同性婚及びパートナーシップ制」はそのような新しい人権に含まれず、幸福追求権には当てはまらないということであれば、憲法上のどのような条文をその根拠としているのか、お聞かせいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
それを変えるつもりは、まったくありません。
「憲法24条は同性婚を想定しておらず」ということは、私も含め多くの論者が認めることですが、「(憲法24条が同性婚を)否定も・排除も・禁止も・肯定も・許可もしていません」というのは、あくまで一つの学説であって、多くの人が認めるものでありません。
私は、法意はともかく、条文的に抵触すると考えます。
それについては、貴方とは「見解の相違」であり、これ以上、議論するつもりはありません。
「環境権」や「プライバシーの権利」は、現行の憲法の条文とは抵触しないでしょう。
しかし、将来的には、憲法改正して、これらの諸権利を明文化すべきだと思います。
なにか、誤解されているように思いますが、私は皆さんが同性婚問題に関心をもたれるはるか以前から積極的な「(同性)パートナーシップ制度」推進論者です。
「同性婚」については、結婚制度自体にいろいろ問題があるので、懐疑的ですが、反対しているわけではありません。
実現を目指すなら、姑息なことはせずちゃんと筋を通せと主張しているだけです。
あとですね、「(同性)パートナーシップ制度」推進論者の私に対してこれほど長文を2度も費やして説得的な議論をするより、「同性婚及びパートナーシップ制」反対論者と議論した方が、より生産的だと思いますが。
それとも、同性婚推進のためには、まず「同性婚懐疑論」&「(同性)パートナーシップ制度」推進論を潰して、という戦略なのでしょうか?
はっきり言って、議論を吹きかける相手を間違っていると思います。
「同性婚及びパートナーシップ制」反対論者の方は、憲法云々とは違う理由で反対されているわけで、そのような方々にはできない質問でした。憲法上の権利自体を否定し、それを認めることは「ご都合主義」「姑息」とするお考えをもう少し踏み込んで伺えればと思っただけで、特定の論を潰そうなどというつもりは毛頭ありません。
結果的に、三橋先生は、国家権力の授権範囲を拡大解釈し権力を濫用することと、時代の変化に伴い個人の新しい権利を幸福追求権等に属するとして保障することは、両方とも成文憲法を乱す「解釈改憲である」とお考えであることや、同性婚に限らず、これまで新たな個人の権利として保障されてきた諸権利についても、いずれ憲法改正の上、明文化されるべきという、個人の権利を柔軟かつ拡大的に捉えてきた戦後憲法のあり方そのものに否定的であるということ、また同性婚に言及も想定もしていない24条を根拠として、それら新たな権利から同性婚は区別されるというお考えであるのだな、とわかり、納得致しました。
お忙しい中、お手間を取らせてしまい申し訳ありません。
ありがとうございました。
そして、それらは、将来の憲法改正で、憲法の中に取り込まれるべきものです。
残念ながら「同性婚」については、そうした司法判断の積み重ねがありません。
ですから、「同性婚」は憲法13条の幸福追求権の範囲という主張は1つの考え方(学説)ではあっても、議論の前提にはなりません。
それをあたかも定説のように前提化して議論するのは欺瞞です。
ちなみに、誤解があるようですが、私は「同性パートナーシップ」は、憲法13条の幸福追求権の範囲として保障されるべきだと考えます。
憲法観については、「見解の相違」で、残念ですが仕方がないです。
法理論・方法論では違いがあっても、目指す社会には、ゆきんこさんと私の間に決定的な差はないと思います。
皮肉ではなく、これからの、ご活躍を祈っています。