4月3日(水)春の嵐
4月3日(水) 雨のち曇り 東京 16.6度 湿度 61%
8時、起床。
太平洋岸を東進する低気圧が急速に発達して、昨夜から風雨激しく、大荒れ状態。

シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結ぶ。
化粧と身支度。
黒地に紫とグレーで花柄のチュニック(8分袖)、裾にラインストーンが入った黒のレギンス(6分)、黒網のストッキング、黒のサンダル、黒のトートバッグ。
菜の花色のケープ。
10時前、家を出る。
風の様子を見て、良い傘を持っていくとやられるなと思い、300円のビニール傘を差してゆく。
5分ほど歩いて土手の道路に出たところで突風にあおられ、あっけなく傘崩壊。
壊れた傘をなんとか立て直して駅に向かうが、あと数分の所で、また突風に遭い完全に崩壊。
かなり濡れた状態でなんとか駅に駆け込む。
まさに春の嵐。
日本の春ってこんな荒々しい気象だっけ?
10時半、自由が丘の産経学園で「『続日本紀』と古代史」の講義。
12時15分、終了。
どこかで傘を買わなくてはならない。
濡れずに行ける所を考え、学芸大学駅の「東急ストア」を思い付く。
で、学芸大学駅で降りて、クリーム色の少しまともな傘(1000円)を購入。
昼食は、学芸大学駅西口の「てんや」で、桜えびとふきのとう天丼(780円)。
ちとお値段が高いが、ふきのとうの天麩羅(好物)はおいしかった。

東急東横線(中目黒駅乗換)東京メトロ日比谷線(日比谷駅・有楽町駅乗換)同有楽町線で永田町駅下車。
徒歩数分の国会図書館へ。
雨、だいぶ小降りになっていた
5月刊行予定の論集『性欲の研究――エロティック・アジア』(平凡社)に掲載される論文「中国の女装の美少年『相公』と近代日本」の校正のため、いろいろ調べ物。
辻 聴花 の『支那芝居』(1923年)の引用文、今までは孫引きだったのが、原本を見て校訂することができた。
ただ、いちばん知りたい「相公」の起源にかかわる問題、清の乾隆帝が安徽省の太平府で江南の演劇を気に入り、俳優たちを北京に連れていった時期、6度あった南巡の何度目だったのかが突き止められない。
現代の中国演劇史の本には「相公」関連の記述なんてそもそもない。
こうなると中華書局刊行の二十四史(正史)の『清史稿』当るしかない。
幸い私は古典中国語(漢文)は読める。
乾隆帝が安徽省に行幸した時を調べればいいと思い「本紀」を調べたら、なんと毎回ほとんど同じコースを巡幸していて、安徽省には毎回行っていて、決め手にならない。
仕方がないので「志」を調べる。
「地理志」の記述は簡潔で、そこまで出ていない。
「楽志」も同様。
実は、清代は正史のほかに膨大な量の地域史(州志・県志)が作られていて、その相当するものを調べれば出てくるかもしれないのだが、国会図書館の中国語蔵書は、ほとんど関西分館の「東アジア情報室」に収蔵されていて、東京では見ることができない。
ということで、これ以上の追及を断念せざるを得なかった。
3時間ほど頑張ったが、解らないことは仕方がない。
結局、6度行われた乾隆帝の南巡(1751~1784年)の内、江南の名優を北京に招致したのは、初度から4度目までのいずれかで、1751~65年の間のことであったと推定するに止まった。
北京に連れて来られた江南の俳優たちが、やがて皇帝の庇護を失い、生活のために歌舞や男色を売るようになったのが「相公」の始まりだから、つまり、北京の「相公」の起源は18世紀後半ということになる。
17時、退館。
春の嵐は去り、青空さえのぞいていた。
降り始めからの東京の雨量は123.5mm(2日53.5mm、3日 60.0mm)。
春の嵐で、桜の花はほぼ吹き飛ばされてしまい、これで、今年の東京の桜の季節はお仕舞。

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↑ 強風で髪もぼさぼさ、今日は疲れた・・・。
18時、自宅最寄り駅で仕事帰りのパートナーと待ち合わせ、買い物をして一緒に帰る。
19時、帰宅。
夕食は、つけ麺を茹でる。

スープの溶き汁は鶏団子スープ。
昨夜の肉野菜炒めの残りといっしょに。

食後、3時間ほど仮眠。
起き出して、お風呂に入って温まる。
夜中、論文「中国の女装の美少年『相公』と近代日本」の再校を仕上げる。
疲労困憊。
就寝、5時。
8時、起床。
太平洋岸を東進する低気圧が急速に発達して、昨夜から風雨激しく、大荒れ状態。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結ぶ。
化粧と身支度。
黒地に紫とグレーで花柄のチュニック(8分袖)、裾にラインストーンが入った黒のレギンス(6分)、黒網のストッキング、黒のサンダル、黒のトートバッグ。
菜の花色のケープ。
10時前、家を出る。
風の様子を見て、良い傘を持っていくとやられるなと思い、300円のビニール傘を差してゆく。
5分ほど歩いて土手の道路に出たところで突風にあおられ、あっけなく傘崩壊。
壊れた傘をなんとか立て直して駅に向かうが、あと数分の所で、また突風に遭い完全に崩壊。
かなり濡れた状態でなんとか駅に駆け込む。
まさに春の嵐。
日本の春ってこんな荒々しい気象だっけ?
10時半、自由が丘の産経学園で「『続日本紀』と古代史」の講義。
12時15分、終了。
どこかで傘を買わなくてはならない。
濡れずに行ける所を考え、学芸大学駅の「東急ストア」を思い付く。
で、学芸大学駅で降りて、クリーム色の少しまともな傘(1000円)を購入。
昼食は、学芸大学駅西口の「てんや」で、桜えびとふきのとう天丼(780円)。
ちとお値段が高いが、ふきのとうの天麩羅(好物)はおいしかった。
東急東横線(中目黒駅乗換)東京メトロ日比谷線(日比谷駅・有楽町駅乗換)同有楽町線で永田町駅下車。
徒歩数分の国会図書館へ。
雨、だいぶ小降りになっていた
5月刊行予定の論集『性欲の研究――エロティック・アジア』(平凡社)に掲載される論文「中国の女装の美少年『相公』と近代日本」の校正のため、いろいろ調べ物。
辻 聴花 の『支那芝居』(1923年)の引用文、今までは孫引きだったのが、原本を見て校訂することができた。
ただ、いちばん知りたい「相公」の起源にかかわる問題、清の乾隆帝が安徽省の太平府で江南の演劇を気に入り、俳優たちを北京に連れていった時期、6度あった南巡の何度目だったのかが突き止められない。
現代の中国演劇史の本には「相公」関連の記述なんてそもそもない。
こうなると中華書局刊行の二十四史(正史)の『清史稿』当るしかない。
幸い私は古典中国語(漢文)は読める。
乾隆帝が安徽省に行幸した時を調べればいいと思い「本紀」を調べたら、なんと毎回ほとんど同じコースを巡幸していて、安徽省には毎回行っていて、決め手にならない。
仕方がないので「志」を調べる。
「地理志」の記述は簡潔で、そこまで出ていない。
「楽志」も同様。
実は、清代は正史のほかに膨大な量の地域史(州志・県志)が作られていて、その相当するものを調べれば出てくるかもしれないのだが、国会図書館の中国語蔵書は、ほとんど関西分館の「東アジア情報室」に収蔵されていて、東京では見ることができない。
ということで、これ以上の追及を断念せざるを得なかった。
3時間ほど頑張ったが、解らないことは仕方がない。
結局、6度行われた乾隆帝の南巡(1751~1784年)の内、江南の名優を北京に招致したのは、初度から4度目までのいずれかで、1751~65年の間のことであったと推定するに止まった。
北京に連れて来られた江南の俳優たちが、やがて皇帝の庇護を失い、生活のために歌舞や男色を売るようになったのが「相公」の始まりだから、つまり、北京の「相公」の起源は18世紀後半ということになる。
17時、退館。
春の嵐は去り、青空さえのぞいていた。
降り始めからの東京の雨量は123.5mm(2日53.5mm、3日 60.0mm)。
春の嵐で、桜の花はほぼ吹き飛ばされてしまい、これで、今年の東京の桜の季節はお仕舞。
↑ 強風で髪もぼさぼさ、今日は疲れた・・・。
18時、自宅最寄り駅で仕事帰りのパートナーと待ち合わせ、買い物をして一緒に帰る。
19時、帰宅。
夕食は、つけ麺を茹でる。
スープの溶き汁は鶏団子スープ。
昨夜の肉野菜炒めの残りといっしょに。
食後、3時間ほど仮眠。
起き出して、お風呂に入って温まる。
夜中、論文「中国の女装の美少年『相公』と近代日本」の再校を仕上げる。
疲労困憊。
就寝、5時。
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