「『調教師』インタビュー」について
10月8日(月・祝)
「『続・たそがれ日記』アーカイブ(性)」に「『調教師』インタビュー」を収録しました。
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-10-07-1
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-10-07-2
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-10-07-3
ここで言う「調教師」とは、男性を「強制女性化」させることを「仕事」や「趣味」にしている人のことです。
私はある方の紹介で2007年6月にそうした「調教師」の方にお話を聞く機会がありました。
ただ、2時間ほどのインタビューを文字化する途中、荒起こしを終えた段階で作業がストップしてしまい、そのまま未発表になってしまったものです。
理由は、私の研究関心が他に移ったこと、『女装と日本人』(講談社現代新書)出版が決まり、原稿の仕上げに専念しなければならなくなったこと、そして「裏取り」(「調教」された人へのインタビュー)に失敗したためです。
そうした一度、放棄したものを、今更取り出したのは、アーカイブ化のために古いファイルを掘り起こししていて思い出したこともありますが、最近考えていることの資料になるかも、と思ったからです。
それは、現代のセクシュアリティ論は、セクシュアル・オリエンテーション(Sexual Orientation 性的指向)を重視するあまり、セクシュアル・プレファランス(Sexual Preference 性的嗜好)を軽視し過ぎているのではないかということです。
男性を好きになるか、女性を好きになるかというセクシュアル・オリエンテーションを重視する考え方は、ヘテロセクシュアルな(女好き)な男性も、ゲイの男性も、レズビアンの女性も同様で、大きな力を持っています。
それに対して、どんな性的刺激に興奮するかというセクシュアル・プレファランスは、個人的なこと、瑣末なこととして軽視されがちです。
日本では学術的な研究もほとんどありません。
ただ、私のようなトランスジェンダーからすると、そもそも「女好き」「男好き」とは何を基準にするのか?身体か?心か?というところから疑問があります。
加えて、私のようにセクシュアリティの「現場」をかなりディープなところまで見た経験をもつ立場からすると、人間のセクシュアリティ(性行動)はセクシュアル・オリエンテーションだけで語れるような単純なものではなく、そこに多様・多彩なセクシュアル・プレファランスが絡む複雑なものだと思うからです。
実は、最近(2012年9月末)にそんな話をジェンダー&セクシュアリティ研究者である杉浦郁子さん(和光大学准教授)にする機会がありました。
そして、セクシュアル・オリエンテーション一辺倒ではなくもっとセクシュアル・プレファランスを考慮すべきだ、そのためには、もっとセクシュアル・プレファランスを語った資料を集める必要があるという点で一致しました。
ということで、ある特異なセクシュアル・プレファランスを語ったものとして、この「『調教師』インタビュー」を掘りだしてみたわけです。
ただ、録音したMDが見つからず、荒起こししたファイルだけから、文章を(内容を損なわない程度に)整えたので、若干、ニュアンスの再現に問題があるかもしれません。
最後に、せっかくご協力くださったのに、私の怠慢から長い年月、日の目を見ない状況で「お話」を放置してしまったTさんに、お詫びするとともに、あらためて御礼を申し上げます。
「『続・たそがれ日記』アーカイブ(性)」に「『調教師』インタビュー」を収録しました。
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-10-07-1
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-10-07-2
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-10-07-3
ここで言う「調教師」とは、男性を「強制女性化」させることを「仕事」や「趣味」にしている人のことです。
私はある方の紹介で2007年6月にそうした「調教師」の方にお話を聞く機会がありました。
ただ、2時間ほどのインタビューを文字化する途中、荒起こしを終えた段階で作業がストップしてしまい、そのまま未発表になってしまったものです。
理由は、私の研究関心が他に移ったこと、『女装と日本人』(講談社現代新書)出版が決まり、原稿の仕上げに専念しなければならなくなったこと、そして「裏取り」(「調教」された人へのインタビュー)に失敗したためです。
そうした一度、放棄したものを、今更取り出したのは、アーカイブ化のために古いファイルを掘り起こししていて思い出したこともありますが、最近考えていることの資料になるかも、と思ったからです。
それは、現代のセクシュアリティ論は、セクシュアル・オリエンテーション(Sexual Orientation 性的指向)を重視するあまり、セクシュアル・プレファランス(Sexual Preference 性的嗜好)を軽視し過ぎているのではないかということです。
男性を好きになるか、女性を好きになるかというセクシュアル・オリエンテーションを重視する考え方は、ヘテロセクシュアルな(女好き)な男性も、ゲイの男性も、レズビアンの女性も同様で、大きな力を持っています。
それに対して、どんな性的刺激に興奮するかというセクシュアル・プレファランスは、個人的なこと、瑣末なこととして軽視されがちです。
日本では学術的な研究もほとんどありません。
ただ、私のようなトランスジェンダーからすると、そもそも「女好き」「男好き」とは何を基準にするのか?身体か?心か?というところから疑問があります。
加えて、私のようにセクシュアリティの「現場」をかなりディープなところまで見た経験をもつ立場からすると、人間のセクシュアリティ(性行動)はセクシュアル・オリエンテーションだけで語れるような単純なものではなく、そこに多様・多彩なセクシュアル・プレファランスが絡む複雑なものだと思うからです。
実は、最近(2012年9月末)にそんな話をジェンダー&セクシュアリティ研究者である杉浦郁子さん(和光大学准教授)にする機会がありました。
そして、セクシュアル・オリエンテーション一辺倒ではなくもっとセクシュアル・プレファランスを考慮すべきだ、そのためには、もっとセクシュアル・プレファランスを語った資料を集める必要があるという点で一致しました。
ということで、ある特異なセクシュアル・プレファランスを語ったものとして、この「『調教師』インタビュー」を掘りだしてみたわけです。
ただ、録音したMDが見つからず、荒起こししたファイルだけから、文章を(内容を損なわない程度に)整えたので、若干、ニュアンスの再現に問題があるかもしれません。
最後に、せっかくご協力くださったのに、私の怠慢から長い年月、日の目を見ない状況で「お話」を放置してしまったTさんに、お詫びするとともに、あらためて御礼を申し上げます。
この記事へのコメント
僕にとっては、Tさんの行動よりも、
Tさんに背中を押されて、身体や生活の女性化を進めていく奈津美さんが興味深いです。
どのような段階を経て、どのような心持で、どのような葛藤を乗り越えて、自分の女性化願望と向き合い、それを実現させていったのか、と言う点において、Tさんから見た客観的な話は、興味をそそられます。
ネットなどでの、MtFの自分語りは結構ありますが、客観的な途中経過の様子とか、正直な心情の吐露は、少ない気がするので。
っていうか、ご本人のコメントって、照れとか見栄とか羞恥心とかいろいろな要素が入っていて、必ずしも正直で客観的な事が書かれてない気がするのです。自分の事だけど、自分でもよくわからないってこともあると思うし。(これは、MtFに限らない話でしょうが)
そういう意味でも、奈津美さんに関する、Tさんのインタビューは貴重に思えます。
>奈津美さんに関する、Tさんのインタビューは貴重に思えます。
そう言っていただけると、うれしいです。
ただ、Tさんの語りにも、かなり「照れ」や「見栄」が入っています。
「嘘」はないと思いますが、「話せないこと」はあると思います。
やはり、こういう形でインタビューを取ると「きれい事」の方向になってしまいます。
私が、インタビューのまとめを一度放棄してしまった理由のひとつに、そんな限界を感じたからだと思います。
>どのような段階を経て、どのような心持で、どのような葛藤を乗り越えて、自分の女性化願望と向き合い、それを実現させていったのか
私も、そこらへんを菜津美さんにインタビューしてみたかったのですが・・・、
実現できず残念でした。
Tさんからの「強制」という形と自分の「意思」のバランスを、ご本人の口から確かめてみたかったです。
ずいぶん昔の記事にすいません。強制女性化という言葉からたどりつきました。
「性的志向」と「性的嗜好」のお話、興味深く拝読させて頂きました。
調教師による強制というかたちをとっていますが、奈津美さんは自己女性化愛好症ではないかと考えています。
私自身も女性化の希望がありますが、男性を好きという気持ちはありません。
これ以上のお話は不適切な表現などがでてしまいそうです。順子先生から許可がいただけるなら、掲示板で、そうでなければ他の手段でお話したいです。
たしかに奈津美さんはには「autogynephilia(自己女性化愛好症)」の傾向はあると思います。
ただ、私は性的嗜好を病理化(精神疾患化)することには抵抗感が強いので、そうした方向では考察しませんでした。
奈津美さんの場合、マゾヒズムの傾向もかなり強いと思うので、単なる「自己女性化愛好症」では語れないと思います。
おっしゃるとおおり性的嗜好に関してはひとそれぞれ千差万別で精神疾患化することで画一化することは問題の本質を見失う可能性がありますね。
私自身は、強制され仕方なくやっているんだという、状況にもにも興奮を感じるため、自分の意志でありながらも形の上で「強制される」という立場での行動が女性化のために必要なのではないかと考えています。
言葉がまとまらずすいません。
はじめまして。突然のコメント失礼いたします。
こちらの記事がとても好きで定期的に興味深く拝読していたのですが、サービス終了に伴い読めなくなってしまいました。再度こちらに掲載いただくことは可能でしょうか。
もしすでに再掲済みで、私の検索不足でしたら申し訳ございません。
どうぞよろしくお願いいたします。